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代表です。
後編です。
意味不明です。書いてる私にもよくわかんない。
さて、その小さな村にやってきた若者とチビ。
もちろん今までの街と同じように過ごしていたと思われますが、ひとつの変化、新しいお友達ができます。
新しいお友達は村のとある娘さん。貧しい家の子で、家でパンを焼き、教会の前の広場で売っていました。
その娘さんのお店は広場のはじっこ。教会から見て右側のいちばん手前。
さて、その娘さんと若者、出会ってすぐに恋に落ち、、ません。。
新しい土地に来て好奇心旺盛なチビ。いつもどこかしらウロチョロしては面白い事を探していたようです。
何がチビの眼を惹きつけたのか若者にはわかりませんでしたが、いつの間にかチビと娘さんの間に不思議な絆ができていたようです。
なんせ娘さんときたらチビに輪をかけたような悪戯好きで豪快に明るい子。そういうのを気にいったんだろうね。
いつのまにか広場でパンを売る娘さんの隣にあたりまえのように座り込みお手伝い?をしていたチビ。傍目にはホントの姉妹のように見えてたかもね。
ふだんは若者の宿舎に住んでいて健気な感じにいろんなお手伝いをしていたチビですが、気が付けばチビは言葉を取り戻し、以前よりもうるさくなったチビ、そのパワーアップしたチビよりもさらにうるさい娘さん。若者はそんな二人に囲まれて苦笑いのたえない時間を送る事になりました。
いろんないたずらにあった気がするけど、一度チビの手引きで宿舎に忍び込んだ娘さん。なんか味をしめ、何度となく若者の宿舎に忍び込み、こっそり寝床にまで忍びこまれてた時には若者もびっくりしたもんです。
若者もそんな娘さんの毒気の無さにあてられたかだんだん娘さんを受け入れていきました。
村を出て麦畑を西に抜けるとちょっとした林があり、そこは村の若者のデートの場所でした。
まぁ、若者は立場上、普通にデートするわけにもいかず、その林から少し南の小さな丘、その丘の南の斜面の下のほうに
ちょっとした木が生えておりその木の下がデート場所になってました。だいたいチビも一緒だったけど。
若者は天気の良い日に木の下に仰向けに寝転がり流れる雲を見てるのが好きでしたね。
娘さんは若者の横に同じように転がったり、突然、若者の上にダイブして若者の上にうつぶせに寝転がったりとじゃれながら若者にいろんな話をしてくれとおねだりしてましたね。若者の生まれた街の話やほかの街の話を聴くのが好きだったなぁ。
よその街に憧れてる娘さんに若者も、いつか連れていってあげる、一緒に行こうなどと約束してたり、ほのぼのとした日々が続きましたが、こんな生活にも変化が起きてしまいます。
娘さんのおなかに子供ができちゃいました。たぶん大変なことですね。
最盛期ではなかったとはいえ、時は中世です。そして若者は教会付きの身分です。
公になれば娘さんは魔女にされちゃいます。信仰を阻害する存在ってのが悪魔の定義なんですから。
若者ももちろん無事じゃあすみません。ってなわけで二人は村から逃げてどこかで暮らすことを考えます。もちろんチビもつれて。
そんな時です。どうも戦争やってたみたいなんですよね。戦火というか敵が村に迫ってきたんですよ。
もちろん村は大騒ぎでみんな北の少し大きな街へ逃げようと混乱が始まります。
ここで若者と娘さんは余計なことを考え付いてしまいます。「今だ!」って。
たいした荷物も持ち出さず、二人はチビを探しますが見つかりません。こんなときに限ってです。誰かが連れて逃げてくれていたんでしょうがチビとはぐれてしまいました。
二人で村を出て子供とチビと暮らそう。想いは同じでした。チビは家族だったんですね。でも時間はもう残っておらず、仕方なしに若者と娘さんは村を出ます。皆が北の街に逃げることは決まっていたので、また会えるんだから、ちゃんと探し出せるからって、若者は娘さんに語り続けながら足早に、だからっていっても心配で心配で心配で。
結局、その日も宿舎でいつものようにお手伝いをしていたチビ、娘さんと会うために出掛ける時、ちらりと見えた日常の風景が若者とチビとのお別れでした。
さて、村を出た若者と娘さん、村の人達とは違う方向へ歩みを進めます。北の街へ向かう街道ではなく東へ海沿いへ向かう小道を進みます。
ちらちらと敵の姿も見え、身を隠すように隠しながらだったかなぁ。そして海辺です。海辺っていってもこのへんはずっと崖。40メートルくらいの白い崖がずっと続いてる場所でした。
また敵兵の姿を見つけた若者と娘さん。崖っぷちに身を隠します。敵は5、6人だったと思いますがすぐそこ。その敵の動きで二人は気づきます。見つかったって。
逃げよう!と動き出したとき、足場の悪さに若者はよろめき、足を踏みはずしたように海のほうに倒れこみました。まぁ、海ってか崖ですね。
ああ、落ちるんだ、って感じたとき誰かの手が触れたのを感じました。娘さんです。そのときにはもう体は地面から離れていました。娘さんはよろめいた若者を守ろう、支えよう、助けようとして一緒に落ちてしまったんですね。
落ちている感覚の中の長い時間、若者の視界には空が見えていました。そしてすぐ上で共に最後を感じていたはずの時、若者だけを見つめていてくれる娘さんの目、恐怖ではなくただ必死な表情で若者を掴もうとしています。もう落ちてる最中なのにね。
娘さんと子供を守れなかった苦しい想い、はぐれてしまったチビへの想い。みつめてくれている娘さんの瞳。そのみっつを感じながら若者であった時の記憶は終わります。
いちおう終わり。
まぁ、意味わからんですね。わからんでしょう。わからんで当然。
私のってか私が以前に降りてきていたときの記憶。
いくつかあるけど、そんなかでいちばんはっきりしてしまった時の記憶ですね。ってか記憶なんか?
以前に強いかかわりがあった人ってだいたいわかるんですよ。初対面でも、ああ知ってる人だ!ってね。そっからいろいろわかってきます。少しづつ。そういう経験はよくあります。
そして、そういう人との関わりって1回や2回じゃない。
キリスト教徒の私が言うのはよくないかもしれんけど、輪廻ってのはあるようです。
仏教側から言えば、悟りってのは輪廻から開放されることを目指しますよね。それくらい現世って辛いもんだったんだよね。
これにキリスト教の感覚を当てはめるならば、この世、現世ってのは煉獄なんだってことだろね。
悟りを開けた者のみが復活の時まで眠ることを許されるということであろうか?
生まれてきたものは皆、業に溢れてるってコトかもしれんけどさ、どんな業を背負っていようが、
人間らしい生き方を俺はしていたいし、人間らしさのぶつかりからの混沌が俺は大好きだけどね。
今回の駄文は昔を覚えている、感じられる人同士が出会ってしまったためにこうなった。
お互いの「こんなだったよね?」って疑問のやりとりなんかするからどんどん明確になってしまうし、
どんだけ時間がたってもお前は変わらんなぁ、、って。。
とはいえ、「お前はあの時も!」って何かの拍子に怒られるのは勘弁よ。
そんな400年も前のコト言わんでよ。600年前のコトもさぁ。1200年前のことは俺の責任じゃねえです。
今回の登場人物。
若者 俺ちゃん
娘さん 猛獣
チビ だーりん
繋がり濃いです。困ったことに。
代表です。
久しぶりで更に意味不明です。
いろいろ見るんです。瞬間のイメージとか。脳みそへの突然のダウンロードとか。
以下壮大な妄言。
むかしむかしあるところに、ではなく、
時は中世の終わりに近い頃、ところはおそらくブリテン島、スコットランドのあたり、
東の海に面した、あ、海っていってもね、そのへんの海岸って崖なんだわ。
30~40メートルくらいの高さの白い崖、石灰質なのかな。
その崖に程近いところにとある村がありました。小さな村なのね。人口とかわからんけど。
小さな教会を中心に小さな家が集落をつくってました。
村の産業といえば麦をつくってるぐらいの貧乏な村だったのね。
なんせ村でいちばん大きな建物が教会に隣接して建ってる教会関連の建物、お役所も兼ねてました。
そこに1人の若者がおりました。
その若者、名前はわかんないけど、その国でも大きな街のたぶん権力者の家に生まれたのよね。
次男とか三男だったのかもしれんけど、教会に放り込まれて各地の街や村、都会や田舎を旅をしているように赴任地を回っておりました。修行だったのかねぇ?
そんな若者がその小さな村に赴任する前、いくつか前、とある街、上記の村なんかに比べりゃ大きな街に赴任していたとき、ひとりの少女に出会います。
少女っても子供ね。まだ10歳にもならないイメージ。
お父さんと二人っきりだったのかなぁ。お父さんは教会や役所の仕事を手伝ってくれていて、それで生計をたててたんだろう。
多分、その街の生まれじゃなかったんだよね。他に家族もいなかったからなのか、いっつもお父さんにくっついてた感じ。お仕事もお手伝いしてて、そりゃあみんなの人気者。みんなにかわいがられてました。
いつの頃からかその少女(以下、チビと呼ぶ)は若者によく懐いてたのよね。
おしゃまでいたずらっこでとにかくしゃべる。若者はいつも「はいはいわかったわかった。」って感じにいつもチビとの会話に苦笑いしながら時折、楽しい時間を過ごしていました。
そんなときに、ひとつの悲劇。チビのお父さんは突然亡くなってしまいました。
なんで亡くなってしまったのか、原因、死因、わかりませんが、チビには大変なショックなことだったんでしょう。
そりゃそうだよね。子供がたった一人の肉親を失っちゃったんだもん。
チビは言葉が出せなくなっちゃいました。もちろん笑顔も。。
*この私、代表も父親が死んだときはしばらく言葉が話せなくなっていたと婆様が泣きながら語ってた事があったわ。もちろんそん時のことなんて記憶にないけどさ。
ほかに身内もいないし、お父さん教会の施設で働いてたし、二人もそこに住んでたし、、
って事だろうけど、チビは教会の施設で暮らすことになります。施設ってか宿舎みたいの?よくわからん。
しばらくたってもチビの言葉は戻ってきません。笑顔もないままです。
まわりのみんなもチビの笑顔を取り戻そうと結構がんばってた。たぶん頑張ってた。
まわりの厚意をわかっていて、無理して笑おう笑おうと努力しているチビの表情が涙を誘います。
そんなのも辛かったのか、チビは以前にも増して若者に懐いていきました。
若者は特別何も言わないし干渉もしない。チビが望むときにただ傍にいてチビを受け入れて、無理に話させようとか笑わせようとしなかったのよね。
多分だけど、若者のチビをかわいそうに扱わない姿勢がチビにとって楽だったのかなぁ?
まぁ、みんなにかわいそうかわいそうって扱われてたらたまったもんじゃないもんね。
チビは四六時中、若者のそばにいようとします。つか離れません。
若者もそんなチビを受け入れ、いつしか親子のように過ごしていました。
そういう時間をチビと過ごしていた若者にチビとの別れの時がやってきます。いつごろかはわかんね。
次の街へいくときが来たのよね。チビはまだ言葉を出せません。
若者が次の任地へ旅立つと決まり、チビは日ごとに暗くなっていきました。
部屋へ戻るときでも、残りの時間を惜しんでいるのか、大きな眼を上目遣いのようにして表情をこわばらせて何かを伝えようとしています。もちろん言葉はでませんが気持ちは充分に伝わります。
若者もそのチビの顔が辛かったんですね。若者はある決断をします。
チビを連れて行く。そのときの若者にとっては当然のことと感じていたでしょう。
それをチビに伝えた時、チビはお父さんが亡くなったときにも見せていなかった涙を流します。もう号泣。
大きなショック、まわりへの気配りなどなど、小さいながらに頑張ってたんだろうね。そのときやっと泣けたんじゃないかなぁ。
そうして若者はチビを連れて次の街へ旅立ちます。
次の街でもいろんなこともあっただろうし、その次の街でも。そのへんはわからん。
チビと若者は街から街へ、ってほどではなかったけど旅をするように次の赴任地へと向かい、それぞれの街でそれぞれの人達と暮らしていました。
まぁ、旅の途中はひたすら寒かった感じなんだけど。二人寄り添って寝てたかなぁ。
若者にとってチビは本当に家族な感じやね。
そして、その次くらいに冒頭の村が若者の赴任地となり、チビとともに村へやってきました。
その小さな村で若者はある人と出会い、大きな出来事のなかの小さな悲劇にも出会います。
後編へ続くのです。
後編で終わるかぁ?まぁ、そんときゃ編集すっけど。
代表です。
復活祭も終わりって感じでお金の流れも戻ってきた感じですね。
まぁ、うちは復活祭これからだけどね。
市場はセルインメイで一気に下かぁ?って今年はやたら言われるからどうだろうね?
日経なら1万1千円台まで落ちて欲しいところだけど、こんだけ言われてたら落ちないか?
ほんで復活際。キリスト様が復活なされたお祝いね。
復活っていっても、死んだあと肉体が干乾びたまま生き返ったって話じゃないらしいがね。
神様として、そっちの世界で復活されたってことだけど、いろいろむずかしいねぇ。
まぁ、日本なら死んだ人はみんな神様ってことで、まぁいいか。みんな復活するんだし。
つかさぁ、Godを神って翻訳したのは誰なんだ?
そいつのせいで、いろんな事が面倒くさくなってるし、理解も難しくなってるんだけど?
特別に墓から復活して細かく釈明つか説明してくださいな。
復活ってことはちゃんと誕生もあったのかな?よくわかんねぇけど。
キリスト様、実はいつ生まれたのかわかってないしね。
聖書の内容から西暦の始まるちょっと前らしいって事だけどさ、
ああ、そんな頃に、、って反応するひと、ちょいとオカシイから!
西暦ってキリスト誕生で数えてること忘れてる人、だいぶオカシイから!
誕生が紀元ぴったりじゃないって問題提起してる人、論理的にオカシイから!
なんも、キリストが生まれた瞬間にいきなり西暦がはじまったわけじゃないし!
そのへんはローマでの時代になってから公会議で決めてるのよね。
いつをキリストの誕生として西暦の紀元にする、とか。
意外に知られてないけど、キリスト生誕日を12月25日にする!とか。
誕生年については最近の研究だと紀元前4年くらいってのが主流みたいね。
ベネディクトの著書でもそうなってるし。
つか、誕生日わかんねえのか?クリスマス違うんか!?と。私たちみんな騙されてる?
12月25日は大昔からの太陽信仰に関わる日らしいのよね。
欧州の土地で古い宗教の神様の生誕日だったとか。
冬至と関連で太陽の生まれる日って解釈。マヤとかもそうだっけ。
てゆーか、調べたら12月25日生まれの神様ってわんさかいるのよね。
メジャーなとこならエジプトのホルスとか、ギリシァのアティス、ダイナシス、
他にもペルシアからミスラとかインドでクリシュナとか。仏教にもいたなー。
このへん、なんかコードある感じ。処女懐妊と死後の復活もセットだし。おもしろいね。
つか、クリシュナすげえよね。
奥さんが1万6千人いたんだぞ?1万6千人!昔、貰った本では100人だったけどさ。
クリシュナと目を合わせた女性はみんな奥さんになっちゃうんだよね。催眠術か!?
1万6千人、みんな満足させてたんだってさ。。ちょーすげえよね。。
さすがに自分ひとりじゃ無理だからって分身を10人作って、1万6千人を日々愛し続けたと。
分身と合わせて11人体制でもすげえ!1人あたり何人だ?
現代の日本人みたいに淡白じゃないだろうし、週何回だろう?それって、どんな苦行よ?
そりゃー神様にもなるわなぁ、、と。
死後に復活する前に肉体が干乾びてそうだけど。
うーん、インドの宗教芸術の女性って肉感的でいいよなぁ。
だーりんは干乾びないように。ほんで早く復活してよね。
このへんにクリシュナはいないけど、1万6千人ぶんの喜びをガメましょう。
代表です。
お題、いただきました。
デカドロンとデカダンス。なんじゃそりゃ?
デカつながりしかないやんね?
デカドロン、あたしもたまにお世話になります。
副腎皮質ホルモン剤、ホルはホルでもステロイド、抗炎症剤かね?
体に悪いけど炎症(延焼)抑えるのよ!火消しよ!放火魔は獄門よ!
アレルギーにそこいら中、放火されて肉体はさながら世紀末!
モヒカンがバギーでヒャッハーよ!
祈る私にモヒカンが叫ぶのよ!「ヒャッハッハー!神なんかいねぇ!」
神は死んだ。-フリードリヒ・ニーチェ
繋げたぞこんちくしょう。退廃的だぁ。
ニーチェとデカダンスってのは微妙?
超人とか畜群はそれっぽいかな、社会に対していい具合に退廃してるかも。
だいたいデカダンスって何ぞや、と。
キリスト教?はぁ?俺知らねぇし?俺の人生コレだし?みたいな?
アイロニー漂わせて、ただひたすら美しく?そんなの?
まぁ、たいして知らないんだけど、俺ちゃんみたいな一級自虐士の人に向いてるかしら?
つか、以前、いろいろ書いてた時に指摘された事あるのよね。
そういう影響受けてるでしょ?的なの。ほんで意識的に遠ざけてた感じかな。
世紀末ってのよりプロテスタント勝利って時代の影響よね。たぶんコレ。
形而上学的な哲学から唯物論へ、みたいな。教会から個人主義へみたいな。
ほんで「神は死んだ」と。そういうこと?
まぁ、神の定義って難しいですよね。
こういう場合は神というより教会、カトリック的な思想と権威かしら。道徳観もそれか。
まぁ、知識が薄いんで大それた事は書かないようにしとこっと。
プロテスタントと産業化と民主主義の関連と
日本人の宗教観についてはいろいろまとめてみたいなぁ。
ツァラトゥストラはだーりんお願いします。
代表です。
お題、いただきました。
ビッグベンとビッグジョン。意味わかんね。
ビッグベンっつったらアレよね。ロンドンでそそり立ってるやつ。
先っぽ細いし、白いからちょっとダメ?
なんだったかなー、なんかのTVショーだっけか「おー、お元気♪」な感じに
ひとこと「ビッグベン♪」で笑いが出たの覚えてんのよね。
一般的なスラングかどうかはわかんね。
俺ちゃんの守備範囲で、こんな感じのはどうせジェレミーだろうけど。笑。
ビッグベンでエルガーして威風堂々ね。
でも日本人なら東京タワーに東京スカイツリーの二段構えで逝きましょうか。
まぁ、エッフェル塔でもべつにいいんだけどさ。
で、ビッグジョン!ビッグジョンだぜ?ビッグジョンだよ!?
ふつうにちんこじゃん。あ、ビッグだから普通じゃないのかな?
ふつうのサイズとかかわいい平常時ならジョニーでいいのかな?
まぁ、このページのいちばん上に書いてあるCAZZOもちんこだけどさ。
つか、なんだこれ? ビッグベンとビッグジョンで大西洋挟んでサイズ比べかね?
そんなら絶対欧州っしょ。アメリカは無駄毛に寛容だもん。サイズ以前の問題だわ。
統計的にはアメリカってあんまり大きくないよね。
アジア系が平均値を下げてるのかしら? 報道機関でアレって表現される国の人とかさ。
アメリカでビッグならビッグEを強く押したいわ。CVN-65ね。
原子炉8個でどこまでも行って、どこででもいろんなモノ飛ばすんだからねっ!
閑話休題っつか意味不明。ああ、最初からか。